才能の在り処
野田秀樹さんの「贋作 桜の森の満開の下」という舞台を観てきました。
野田さんは、「才能」という概念があるなら、そのまま形にして目の前に存在しているような人でした。
何が良かったかとか、どんな話だとか、私の語彙力では到底説明できそうにありません。
概要などは、こちら⬇︎をご覧ください。
https://www.nodamap.com/sakuranomori/introduction/
野田さんの舞台を生で見るのは初めてでした。
WOWOWなんかでは見たことがありましたが、生は比べものになりません。
私は蜷川幸雄さんが演出された舞台(『身毒丸』など)もよく見ていました。
蜷川さんも最初の掴みで、観客を異世界に飛ばすのが大層上手い方だと思いますが、野田さんもそうです。
最初からもうその世界の住人になって、ひっそりと息を殺すように、登場人物たちの生き様を覗いている、そんな感覚に観客を持っていくのが本当に上手いと思います。
ほどよくコミカルな要素も入れつつ、でも話の芯はとても深い。
なにかこう、言葉にしてできる感覚ではないんです、この感動は。
ただただ、感情という波をこれでもかと思いっきり揺さぶられて、心臓とは別に、"心"という臓器があるなら、それをぐっと鷲掴みにされているような感覚でした。
最後の場面では、泣いてしまいました。本当は声を出して号泣したかったぐらいです。でも、なんで泣いているのか、何がきっかけで涙が流れているのか全く説明ができません。
今でもあの場面の空気を思い出して、涙が出ます。
少しネタバレになってしまいますが、最後の場面で、この物語の主人公の一人である耳男が、大好きな夜長姫を殺してしまいます。その後の、耳男の泣き声が、切なさが、悲しさが、自分の中に入り込んできました。
私は、殺してしまいたいと思えるほど誰かを好きになったことがないのですが、そう思ってしまったら最後、転がるところまで転がり続けるんだろうなぁ、と思います。
そこで、散りゆく満開の桜が、悲しいほどに美しくて、音楽も相まって、号泣したくなったのです。
日本は桜に象徴されるなどと聞くこともありますが、日本とは、和とは、「退廃美」なのではないかと私は考えています。
朽ちていく姿が一番美しい。
桜は満開に咲き誇っている時よりも、散り様の方が美しいと、個人的には思っています。
野田さんの頭、心、神経になりたい。
野田さんという「メガネ」をかけてものを見てみたい。
一体どんな風に感じて、思って、考えているんだろう。
憧れという一言では片付けられないような、敬愛の念を抱いています。弟子になりたい。
少しでも、野田さんがどう考えてこの物語を作ったのか垣間見るために、坂口安吾氏の『桜の森の満開下』『夜長姫と耳男』と野田さんのこの『贋作 桜の森の満開の下』を読んで、比べてみたいな。
そんな風に思っています。